普段使われている食器は、陶磁器と呼ばれるものが多くを占めています。陶磁器とは、「陶器」と「磁器」の総称ですが、その違いや特徴をご存じでしょうか。「聞いたことはあるけど、実際はよくわからない…」という方も多いのではないでしょうか。
この記事では、そのうちの「陶器」について、その特徴と歴史についてご紹介します。ぜひ記事を読んで、お持ちの食器の中に陶器はあるかどうか探してみましょう。
陶器とは?
陶器は、一般的な食器に多く使われ、生活の中でなじみ深いものです。どのようなものなのか見ていきましょう。
陶器の材料
陶器の原料は、「陶土(とうど)」と呼ばれる土で、粘土に珪石と長石が混ざったものです。珪石とは、ガラスの材料となるもので、高温によって溶けて固まるととても丈夫になります。長石は、焼いたときに珪石を溶かし、粘土とつなぐ役割をもちます。珪石と長石の割合が、陶器の質感を決定づけるのです。
陶器の質感
陶土で作った器をそのまま焼いたものは、表面に無数の細かい穴が開いている状態で、吸水性があります。そこで釉薬をかけて焼くことで、表面をコーティングして吸水や水漏れを防げます。また、釉薬は、器に色を付ける役割ももっているのです。
陶器は、透明感はなく厚みがあり、箸などで叩くと低く鈍い音がします。底を裏側から見た部分である「高台」は、茶色くざらついているもので、これが本来の陶器の質感です。素朴で温かみのある陶器は、日常使いの器や、抹茶茶椀などの工芸品があります。各地で作られており、瀬戸焼、備前焼、美濃焼などが挙げられるでしょう。
陶器の歴史
日本において陶器はどのようにはじまり、現在に至るまでどのような発展を遂げたのでしょうか。詳しく見ていきましょう。
日本における陶器のはじまり
日本における陶器のはじまりは、古墳・飛鳥時代にさかのぼります。それ以前の焼き物は、土器と呼ばれますが、700~800℃で焼成していたため強度が弱く、釉薬もなかったため、水が漏れてくるものでした。朝鮮半島より技術が伝わり、1000℃以上の高温での焼成が可能となったことで、丈夫な焼き物を作れるようになりました。
奈良時代に入ると、多彩な色の釉薬を施した「唐三彩」の技術が唐より伝わり、日本でも釉薬を施した器が現れました。「奈良三彩」と呼ばれ、黄色・緑・白(透明)の釉薬を使ったものが多く生産されます。この技術をもとに「緑釉陶器」という緑一色の陶器が作り出されました。
また、平安時代には、天然の草木灰を用いた「灰釉陶器」が生み出されはじめました。緑釉陶器と灰釉陶器は、日本の陶器における最初期のものとされています。
大量生産が可能になり全国へ
平安時代末期になると、大量生産可能な日常使いの器として「山茶碗」が作られるようになりました。室町時代後期まで長期間にわたり、主に東海地方で生産されたといわれています。その形状は、平茶碗や少し深みのある鉢のようなもの、片口の付いたものなど多岐にわたっています。
鎌倉・室町時代には、製陶の中心地である瀬戸で多くの陶器が生産されました。この地域では広範囲にまたがって1000以上の窯が分布しており、猿投窯(さなげよう)と呼ばれていました。この流れを汲み、この地域では、中国の製陶法を参考にしながら多くの器が作られます。
また、この時代には、各地で製陶が盛んにおこなわれ、現在「六古窯」と呼ばれる窯も登場しました。常滑窯・瀬戸窯・越前窯・設楽窯・丹波窯・備前窯の六窯は、現在においても焼き物の盛んな地域として知られるものばかりです。
茶の湯の流行と陶器
安土桃山時代には、全国的に茶の湯が流行し、茶碗を中心に焼き物が日本独自の発展を遂げていきます。志野茶碗、織部茶碗などの優れた器が生産されました。瀬戸黒、黄瀬戸など、色と産地を結び付けて特徴づけることの多い時代でもありました。
京都では、楽焼が生み出され、茶の湯の大家である千利休の嗜好を反映したものが生産されています。16世紀後半、楽家初代の長次郎が千利休の指導のもと茶碗を生み出したことがはじまりで、現在に至るまで、その歴史は続いているのです。
磁器の台頭
江戸時代に入ると、磁器が発展を遂げていきます。安定した時代の中で陶工たちは技術を獲得し、17世紀初めに日本で最初の磁器として、有田焼が誕生しました。丈夫で美しい磁器は、陶器をしのぐ勢いで全国に広がり、陶器の生産地でも磁器を生産する動きが起こりました。
日本の陶磁器と海外
明治維新後、日本が開国して西洋に対抗すべく交流をおこなう中で、陶磁器は各国でおこなわれた万国博覧会に出品され、高い評価を受けるようになります。海外からの注文が劇的に増加し、売り上げの半分以上が海外輸出に依存する状態にもなりました。また、窯の様式の変革により、陶磁器の大量生産が可能となりましたが、故に粗悪品も多く生み出されることとなりました。
陶磁器の工業化が進むと同時に、技術の研究開発が進む中で、新しい焼き物も生産されるようになります。その中で、焼き物の芸術性を追求する「陶芸」の分野が確立していきました。また、大正から昭和にかけて、無名の職人による日用品に「用の美」を見出す「民藝」の考え方が提唱されます。
第二次世界大戦中には、空襲の被害を受けた窯元や生産地も多くありました。しかし、戦後の物資不足の中で、陶磁器の需要が高まり、急速に復興したものもあります。また、海外への輸出が再開され、アメリカやインドネシアなどを中心に多く輸出されました。
陶器の現状
現在も、世界各地で日本の陶磁器は愛され続けています。日本においては、大量生産による陶器が多く出回っています。一方、素朴で温かみのある陶器も、変わらず愛されているでしょう。新しいブランドや作家も生まれ、古くからある陶器の魅力もまた見直されてきているのです。
まとめ
普段何気なく使っている陶器ですが、その歴史は長く、さまざまな技術がつまっています。陶器は、大量生産のものもありますが、職人の手作りのものも多く出回っています。素朴な味や色合いをもつお気に入りの一点物を見つけることで、普段の生活もさらに輝きを増すでしょう。
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